「あなたの手の中には何がありますか」
先日とあるニュースを見て驚きました。
内容はぼかしますが、簡単に言えば、ちょうどある物を持っていたから事件を起こした・・・というのです。
そこでふと考えました。
手にしている物によって、行いは変わるのだろうか?と。
目的のための手段ではなく、手段ありきの目的といいますか。
弘法大師は、錫杖を持って行脚し、行く先々で泉を湧かしてたくさんの人々を助けました。
水戸の黄門様は、印籠で悪を懲らしめました。
創作話から離れましょう。(空海さんのお話は事実もあるでしょうが、数が多すぎます)
もっと身近な例では、車を持っている人は行動範囲が広くなりますね。
車がない自分は、お寺巡りで駅からどれだけ歩いたことか。
片道十キロ程度なら余裕で歩くことができます。
ここまで即時的な例をあげました。
ここからは、手にしている物が長い時間の後まで影響するかを、少し考えてみますね。
子供の頃に、深く考えずに絵筆を握ったある人は、画家になりました。
筆で字を書いた人は、書道家になりました。
なんとなく調理器具を手にして簡単な料理をした人は、料理人に。
そんな話はいくらでもあると思いませんか?
資質や環境もそうですが、「その時に何を手にしたか」によって、人生はいくらでも変わります。
私の場合は、僧侶をしていますので、日々供養しています。
そんなある時、立会火葬で全ての供養を終えて、家族の方に骨壺をお渡して思いました。
この方の手には、愛し愛された子の骨があるんだなと。
この時の事を覚えていれば、私はきっと道を踏み外さないでしょう。
現在、あなたの手の中には何がありますか?
慈恵院 僧侶
一覧へ戻る