風が吹いたら
風はどこから来てどこへ向かうのでしょう?
ポエムみたいな書き出しですね。
最近読んだ小説に、ある考えが書かれていました。
神社を訪れた時に雨が降ったり風が吹く時は、神様に喜ばれている、もしくは受け入れてくれている。
物事が進行する時には、必ず何かの兆候が現れる。
自分の考え価値観と似たものだったので、私はこの物語をすんなりと受け入れられました。
思い返してみると現実、フィクションに限らず、風が吹いたり大きな自然現象が発生して歴史を変えることは多々あると思います。
三国志の重要な局面である赤壁の戦いでは、東南の風が吹くことで最終局面へと移ります。
日本の仏教では、日蓮さんが生き死にの瀬戸際で落雷によって命を救われます。
「バタフライ効果」か知りませんが、江戸時代の富士山噴火が、遠くフランス革命の遠因になったという説を見かけたこともあります。
このように普段と違う出来事が、何かの兆しになることはたくさんあると思うんですね。
以前、”日常の中で感覚を鋭くするように”と教えられたことがあります。
鈍感に生きていると、大切なことに気付けないからだと思います。
大切なことの入口を見逃してしまう。そうならないように感覚を鋭く、と。
別の表現ですが「チャンスの神様」。
難しく考えないなら、いつもの通勤路で咲いた花を見つけてきれいだな・・・と感じられる人の方が、生きてて愉しみが深いでしょう。
いつも聴こえるピアノの音がだんだん上達していく。
そこに気付けると毎日の繰り返しに彩りが増します。
少し話が反れますが、味覚の一つである「辛み」は痛覚ですから、最初は痛いだけですが、経験でいくつもの種類を味分けられるようになるらしいですよ。
最後に禅宗らしい話をします。
高名な僧侶が悟る瞬間の出来事は我々には何気ないことですが、見逃してしまうほどのありふれた出来事で悟られます。
調べるとたくさん出てきますが、解らないことだらけです。
そんな話を見習おうとここまで書いたわけではありません。
ただ、ですね。
先に亡くなったものが生きてるあなたに声をかけるには、こんなやりかたをするのでは・・・?と私は思っています。
思い込みを強く持つと、間違い・勘違い・誤解にとらわれるので難しいですが。
正しくその声に気付いていただけたらと、そんな願いからこんなお話を書きました。
慈恵院 宗務部
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