あるお寺の標語:それがどうした
お寺の門前に、よく毎月の標語が掲げられていますね。
素敵な言葉ばかりですので、意識的に読むことにしています。
件名の「それがどうした」は、お世話になってるお寺で昨年の秋に見かけました。
写真を撮っていないのですが、”怒った感じの文字”だったと思います。
目にした瞬間に痺れました。
感じたままでいいです。考えてもいいです。どの立場であっても突き付けられます。
「それがどうした」・・・と。
仏教的な意味から離れて、改めてこの言葉と向き合ってみて下さい。
私達はどうでもいいことに悩んでいませんか?
そうは言っても、周りとの関係があると物事を簡単にできません。
だからこそ、自分一人の問題として考えると、分かりやすいかもしれません。
次の休みに何をしようと考えるのはいいですが、あれもしたいこれもしたいと悩みだしたらキリがありません。
自分だけの問題で、こだわっても仕様がないのです。
そのうちに、悩むことに悩んだりして最悪です。
昔好きだった歌の歌詞に「忙しいと言うのが忙しい人」という歌詞がありました。
言い換えると『疲れた疲れたと、喉が疲れるまで言う人』を揶揄した表現です。
反面教師として意識していれば、そうならない努力が出来ます。
自分だけが必死になっても、周りからしたらどうでもいいことなら、”それがどうした!”と自分を叱りつけると、とても楽になりますよ。
宗務部 勇堂
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