「私」とは?
日常のちょっとしたことに、一喜一憂してしまうことはありませんか?
この季節でしたら、暑さ涼しさにげんなりしたり、嬉しくなったり。
私は猛暑の中にふとコンビニに立ち寄ると、天にも昇る気がいたします。
さてさて、そんな生活の中の小さな幸せや不幸せに、この身をよせている「私」
そもそもこの「私」というものは一体どこからやってきたか。
せっかくなので簡単に考えてみたいと思います。
まず当たり前ですが、“自ら生んでほしい!”と頼んで生まれてくる御方は、なかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。
つまり出生は、「私」には決めることが出来ません。
また当たり前ですが、名前、性別、なんてものも自分で決めることができません。
“青信号は渡れ“と、生まれながらに知っていたわけではありませんし、言葉も常識も善悪も、親のしつけや、学校や社会といった環境から学び、習得したものでしょう。
以上の当たり前を踏まえると、どうやら「私」というものの大本は、「私」の外側から来たものだと考えることもできると思います。
“「私」なのに「私」の中に大本がない“だなんてすこし不思議な気もいたしますが、人と人のあいだ、人と環境のあいだに「私」があるとするならば、人間とはよくできた言葉だなと思います。
慈恵院・杉山
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